ある人を一言で言うと。。。
ある友達の事を、一言で言うと「抜かり無い」です。
遊ぶことについては、時間管理や、下調べ、体のコンディション準備や、お土産まできっちり準備し、モレ無く、抜かり無く、時に父的行動力とリーダーシップを発揮して、私たちを引き連れて遊びミッションを遂行する。カッコいい女子。
そんな話を次男に聞かせたら、「自分には無い要素。羨ましい。」との言葉。
彼の場合、あれもこれも「やりたい」とは言えるが、その行動に移す前に「あー面倒くさい」と諦めるんだとか。
ゆとり世代の、守られ与えられた世界で生きてきた次男の視点では、自らの夢や希望を叶えるための行動が見えず、どうも「面倒くさい」と言うフタが、頭にのしかかっているようです。
今日、次男と過ごした際、どうしても30分で2つの事柄を済ませる必要が生じ、どちらも実行したい私は、次男と二手に別れ、彼に任務の一つを託しました。
何しろ、いきなり彼に振ったので、また「えー!お母、してくれないの??」のリアクション。
よろしく頼むと言い残し、彼と別れ、30分後集合。
万事、自分で言うのもなんですが、突然のプレッシャーにも怯まず、アイディアを駆使する柔軟性と行動力は、現場仕事で鍛えられたのかも知れません。
無事に任務遂行を果たしました。
そんな彼から、私を一言で言うと、「アドリブ」なんだそうです。
予測外な事が起きると、土壇場で最良の道を判断し行動する。
子供は、見ていないようで、よく見ているものですね。意外にも、「母の機転と行動力を尊敬する」と話していました。
ケアマネジャーという稼業は、常に複数の解決すべき案件が頭の中に巡っています。
優先順位を上げたり下げたりしながら、自分のやる事をマネジメントしなければならないです。
アドリブ。
まあ、そんな感じかも知れません。
どちらかと言うと大雑把で、結果オーライなところもあるし、変化に合わせる要素を残して動くのは当たり前な部分でもあります。
しかし、どうせなら「順応性がある」と言ってもらいたいところです。
アドリブ=順応性×行動力
かな?
彼のネーミング力もなかなかなものですね。
成人式は無駄じゃない
暑い夏も、ようやく涼しくなってまいりました。
子供3人の母しながらケアマネジャーとコーチングをしている、はるの心智です。
私の地域では、20歳の翌年の夏に成人式が行われます。
たまたま、23歳になる長男からこんな質問が。
「成人式って、そもそも必要なん?」
若い子たちには、成人式の衣装代やそれに割く時間など、「無駄なのでは?」と思う事も多いようです。
そんな長男に、こんな話をしました。
正直、自分の時も、休みを取り、田舎に帰省して、慣れない着物着て、写真撮って、まあ大変だった。
しかし、ひとつだけ、「あの時成人式して良かった」と思うのよ。
それは、母の実家を訪れ、祖母に晴れ姿を見てもらい、「とうとう、良い大人になったね。」と言ってもらえた事。
私の母は、なかなか子供を褒めない人でした。
例え褒められても、言われ慣れない私には、歯が浮くような気分になって、何も響くものがなかった。
それが、普段そばに居ない、母方の祖母に会うと、私を愛してくれている実感があり、かけてくれる言葉には、素直に喜べました。
祖母に「良い」「大人」と言われ、存在承認と自己承認が満たされる。
愛する身内に、承認される機会でもある成人式。
認められるという存在承認や自己肯定の機会が、自己基盤を作る。
人生に何か困ったり、悩んだり、落ち込んだ時、自分の自己基盤を司るエピソードを持っているって、すごい「強み」になるのよ。
県外で、辛くても頑張れたのは、私を認め、応援してくれた家族が居るからだと言えるのよ。。
長男も、成人式を迎えた時、たくさんの大人から承認を受けたのを思い出したようです。
いつもの盆なら「墓参りはどっちでもいいや」という長男も、今年の帰省先で「来れて良かったね。」とポロリ。
成人式は済んだけど、まだまだ子供たちと話すようにしたいと思います。
子供ばかりではなく、大人になっても自己基盤は、より強くできます。
コーチング、今からでも遅くない。
アイディアやイメージを実現できる自分へ。
自己基盤をしっかり作りましょう。
私の進路を決めた奇跡=ラポール
こんにちは。はるの心智です。
7月は誕生月で、また一つ年を取るわけですが、上2人が今年から就職し、3人目の子は中3となりました。
3番目の子・次男もようやく進路を決める時期がきました。来週、その三者面談があります。
珍しく彼から私の仕事について、質問がありました。
「お母さん、どうやって仕事を決めたの?」
小学校4年のときのテレビドラマの影響で「看護師になる」と言ったこともありましたが、漠然とした憧れ程度でした。
私が職業として進路を決めたのは、中学です。
その時は、親しい友人からの誘いで、養護教諭に成ろうと誘われたのがきっかけでした。養護教諭を保健室の先生と勘違いし、「保健室で学生と接し、ケガをした子を看病する仕事は、とても楽しそうだ。」と、なんとなく友人の言葉に感化されていたのです。
そこで進学を希望し、高校の普通科に入りました。中学校から励んできた剣道部と並行して、JRC部・美術部など友達の部活に顔を出してきました。とくにJRC部では、障がい者就労施設との提携で、毎年旅行の補助員として同行し、小児麻痺や難病の人たちと交流を深めてきました。
さて、憧れの「保健室の先生」に成るべく、「保健師」を調べたところ、保健師に成るには看護師資格が必要だとわかり、まず「看護師」の養成学校を目指すことにしました。
高3、看護専門学校・大学は、県内ほとんど受けましたが、面接の緊張感からガチガチに固まり、しどろもどろや、無言になるなど、ことごとく脈がありませんでした。そんな私に、進路指導の先生は「自分が人間ドックに行った病院の看護師が優しかった」という理由で、県外の病院を紹介してくれたのてす。病院付属の看護学校は、高校卒業式の前日に試験。同高校から7人が受験しました。みな、県内の看護学校を受験し、落ちた仲間たちです。
試験は、募集50人の枠に450人の応募があり、実際には350人ほどが受けたと聞きます。7倍の難関。
くじ運が悪い。ここぞというときにはいつも失敗する…。
面接で失敗してきた私には、ほとんど、奇跡でも起きないと無理だろうと思いました。
7分の1の確率。
そこに奇跡が起きたんです。
受験番号の一つ前が、一緒に試験を受けてきたAさんで、面接試験の際、わたしたちJRC部がどんな活動をしてきたのかを熱心に語り、試験官の賛同を浴び、場を温めてくれていたのです。
面接室では試験官に笑顔で迎え入れてもらい、「先の方と同じ高校ですね。」と。おかげで、私は緊張せずにのびのびと、笑顔で思いを語ることができました。
一瞬にして話し易い雰囲気=ラポールが形成された状態になったわけです。
3月の春休みに入り、落ちた感が濃厚となり就職の誘いの声がかかるころ、合格通知をもらうことができました。
今思い返せば、友人や先生にとても助けていただきました。
さて、次男の進路は、この先どう進んでいくのでしょう。来週のの三者面談からスタートです。
「考える」を楽しもう。
今日は新月だそうです。
この前の新月は、「決戦の◯◯」って感じで、鈍く滞っていたものが、あれもこれも一度に動き出し片付いた感が強く、新月恐るべしでした。
新月の今日は、仕事もひと段落し、楽譜で言うと全休符的な日でした。
何の音も出ない日、鳴らない日。
次の動きを頭で考え準備する日。
次回の研修にどんな事を話すか。
利用者の家族さんと、どうつながりをつけるか。
忙しさで後回しにしてきた事柄を、ようやくじっくり向き合うわけです。
考えるとは、前向きな行動だなあと思います。
考えるための意欲や、時間の準備、考えるための情報収集もしたり、誠にエネルギーが要ります。
コーチをやっていると、よく意欲的なクライアントに出逢います。
積極的に、考え、行動するのをサポートすると、化学変化のようにチャンスに恵まれる事もしばしば。
飛躍的に場面が変化するクライアントさんもいらっしゃいます。
そういえば、ケアマネジャーって、考えるのが日常で、考えっぱなし。
化学変化もまた、楽しみです。
■
仕事は楽しく、より魅力的に。
この2ヶ月間は、新規利用者さんが増えて、自分でも「よく飽きないものだ」と思うくらい、居宅支援事業の方を頑張っていました。
一度に15人くらい増えたので、事務的な事が続きました。
また、受け持ちさんにも波が。健康を害したり、今までなかった悩みが増えたりと、突発的なコールも多く、私としても一度に複数の事を考えたりするものですから、この19年間のケアマネジャー生活で一番忙しいと言っても過言ではないくらいです。
つくづく、「嫌いじゃない」んだと思います。
どこかで線を引かないと、延々と仕事に没頭しそうでした。
周囲から、体を悪くするんじゃないかと心配してもらい、自分でも食事や睡眠には気をつけて、むしろ楽しんで仕事しました。
そんな中、息子が骨折で入院したので、さらにやる事や考える事が増えて、一度だけめまいに悩まされました。
さて、そんなケアマネジャーの新規の慌ただしさは、ようやくひと段落を迎えようとしています。
遠のいていたブログに目をやると、随分と放置していたようです。
何もないのではなく、こんなに色々動きがあるので、書くことは沢山です。
平成30年度、今まで気になっていたことに挑戦することにしました。
改めて、一から勉強することや、日々の色々を書いて残すことや、信頼できる人を増やすなど。
さらに忙しい日々が始まりそうです。
不思議と疲れない。
何でしょうかね。
ワクワクするから。(^^)
ワクワク。。元気の素ですね。
表面に現れない課題
最近、私に寄せられる相談は、「どうしたら、表面化しない課題を見つけ、掘り出す事が出来るのか?」というものが多くなりました。
例えば、攻撃的な言い方で、支援を拒む家族。「大丈夫」を繰り返す高齢者。
クライアントにも、「どうしたらいいか」に振り回され、なかなか行動が定まらなかったり、迷いが強く、核心に迫ると不安を訴えるなど、表面化した課題と、手当てが必要な課題が異なる場合があります。
ここは、とっても大切な事ですが、課題の背景に視点を動かしてみるといいです。
奥に、何かがある
と、仮説を立てる訳です。
例えば、反抗期の子供は、手応えがほしくて八つ当たりのような行動を取ります。物分かりのいい大人よりも、本気で叱ってくれる大人の方が安心したり。。
その不可思議な行動を取らざるを得なかった、発生誘因とメカニズムをその立場に立って感じる訳です。
ここで大切なのは、「そうせざるを得ない状況」を理解しようとする事。
人は、困った時に、注目してほしいと感じる事があります。
まず、見つけ、観察、分析する事。
何がどうなって、課題が発生したのか。
解決の糸口が見つかるかも。
「がむしゃら」が教えてくれること
仕事について、迷っている方はいませんか?
「この仕事でいいのかな?」
と、迷い出したら、仕事に注ぐエネルギーが、自ずと減っていくものです。
注ぐエネルギーが減っていくと、パフォーマンスが半減。終いには、どうだっていいやと投げ出すことにもなりかねません。
私が仕事に迷い出した時、しばらく考えていた時、「がむしゃらにバリバリ仕事したいなぁ。」と感じたものです。
沸々と湧き上がる情熱は、どこかで発揮させたいけど、一体、何に向けて良いのか、わかりませんでした。
最近、奇跡のような展開で、依頼下さる件数が増え、自分の「がむしゃら」さが表面化する場面が出てきました。
それは、半年前に感じていた、あの感覚を、満足させる値のある忙しさ。
仕事があり、求められる事って、有り難いです。
それは、生きてきて、認められ、頼りにされるというメッセージ。
その中で、学ぶ事があります。
周りに感謝する
がむしゃらに、集中して何かに取り組めるのは、周りの助けがあってこそ。
どうぞ、充実した日々をお送りくださいね。