つまり「俺流」なわたし。「援助関係の構築」
はるの心智です。
とうとう、大寒に近づき、寒さが本格的になってまいりましたね。
今年冒頭に「がむしゃら」という言葉を書いた覚えがありますが、その「がむしゃら」に近い状況がやってきました。
公私ともに、「求められる」ことが増えました。
今まで手抜きをしてきた料理に対し、「きちんとやって」と家族に求められ、「週3回はきちんと手料理を作る」と約束し、ギリギリ18時までに帰ってきて、パパ―っと3品、栄養バランスを考えたおかずを作ってみました。料理は好きな方ですが、仕事にかまけて、手抜きをしていたので、反省です。
今晩は、アジの開きと、けんちん汁・レンコンと木綿豆腐の甘辛煮です。
やれば、できる。(…続くかな。)
仕事でも、私と見込んで依頼をいただくケースが増えて、「求められ」ているようです。
そんな中、「私のやりかた」を通させていただくことで、状況が好転する機会をもらいました。
「私のやりかた」とは、男性なら「俺流」というやつでしょう。
どんな「俺流」か。
「頑固な人でとっつきにくい」と噂されていた方と、ちょうどいい間柄になった。
そこで、
「なんで、あの頑固な人がすんなり支援を受け入れたの?」
と言われました。
じつは、支援を受けれるまでの関わりがゴールではなく、その先の支援と支援を受けた場合の本人の生活や意識の変化が、望む状況。耳を傾け合う関係になったことで、ようやく「本音」が聴け、援助関係が構築される。「支援の準備が整った」わけです。
この、「援助関係の構築」を、私たち支援者は、蔑(ないがし)ろにできません。
私は、本人の立場で考えるようにしています。
本人にとっては、資格はどうあれ「なんだ?この人は?」となりますね。その「見たことないな。わからないぞ。知らないことが増えるからいやだ。」となる抵抗感を、「たいしたことない」に変えなければなりません。その方が受け入れやすいシチュエーションで考えるわけです。
ある人には「ジャブジャブ馴染みの技」。ジャブとはボクシングのジャブで、私の印象を少しずつ情報として入れていく。認知症の進行状態によっては、「知らない人」は「怖い」と思われることが多いです。ですからご家族にお許しをいただき、顔を出す。「あら。どこかで会ったよね?」と言われるくらいまでは、介入のない「安全無害」な存在として好印象を持ってもらえるよう、回数を重ねて会い、本題に触れない程度の関係性を持つ。「馴染みの関係」までは遠い道のりですが、きちんと効果が出ます。
また、ある人は「痒い所に手が届く技」。「話を聴いてもらいたい」とか、「自分がこれまでしてきたことを認めてもらいたい」というニーズを持っている人には、とことん聞いて、承認する。お金の心配のある人はお金について思っている事を聴く。将来の健康に不安がある人は、健康についての思いを聴く。「ニーズはどこか?」を探し出すまでは、「介入」しません。ニーズが見つかると、ニーズの詳細まで本人の言葉で話していただくのです。
その「わかってくれる安心感」を味方につける。
人と人との関係性なのに、「技」ってなんだと苦言を受けそうですが、「援助」は「技術」です。「関わりを持ち、支援する」ためのコツです。
つまり「俺流」なわたし。
自分を知り、相手を知ることで、どのような関わりを求められ、自分が対応できるのかがわかります。
自分とまわり周りを俯瞰してみましょう。
自信を持って臨むことに、「俺流」が発揮できるかも。