コーチング コーチ

「仕事は楽しく、より魅力的に!」はるの心智’s blog

看護師、ケアマネジャー、コーチングコーチ。マルチな筆者の日常を綴ります。

私の進路を決めた奇跡=ラポール

こんにちは。はるの心智です。

7月は誕生月で、また一つ年を取るわけですが、上2人が今年から就職し、3人目の子は中3となりました。

3番目の子・次男もようやく進路を決める時期がきました。来週、その三者面談があります。

珍しく彼から私の仕事について、質問がありました。

「お母さん、どうやって仕事を決めたの?」

 

小学校4年のときのテレビドラマの影響で「看護師になる」と言ったこともありましたが、漠然とした憧れ程度でした。

私が職業として進路を決めたのは、中学です。

その時は、親しい友人からの誘いで、養護教諭に成ろうと誘われたのがきっかけでした。養護教諭を保健室の先生と勘違いし、「保健室で学生と接し、ケガをした子を看病する仕事は、とても楽しそうだ。」と、なんとなく友人の言葉に感化されていたのです。

そこで進学を希望し、高校の普通科に入りました。中学校から励んできた剣道部と並行して、JRC部・美術部など友達の部活に顔を出してきました。とくにJRC部では、障がい者就労施設との提携で、毎年旅行の補助員として同行し、小児麻痺や難病の人たちと交流を深めてきました。

さて、憧れの「保健室の先生」に成るべく、「保健師」を調べたところ、保健師に成るには看護師資格が必要だとわかり、まず「看護師」の養成学校を目指すことにしました。
高3、看護専門学校・大学は、県内ほとんど受けましたが、面接の緊張感からガチガチに固まり、しどろもどろや、無言になるなど、ことごとく脈がありませんでした。そんな私に、進路指導の先生は「自分が人間ドックに行った病院の看護師が優しかった」という理由で、県外の病院を紹介してくれたのてす。病院付属の看護学校は、高校卒業式の前日に試験。同高校から7人が受験しました。みな、県内の看護学校を受験し、落ちた仲間たちです。

試験は、募集50人の枠に450人の応募があり、実際には350人ほどが受けたと聞きます。7倍の難関。

くじ運が悪い。ここぞというときにはいつも失敗する…。

面接で失敗してきた私には、ほとんど、奇跡でも起きないと無理だろうと思いました。

 

7分の1の確率。

そこに奇跡が起きたんです。

 

受験番号の一つ前が、一緒に試験を受けてきたAさんで、面接試験の際、わたしたちJRC部がどんな活動をしてきたのかを熱心に語り、試験官の賛同を浴び、場を温めてくれていたのです。

面接室では試験官に笑顔で迎え入れてもらい、「先の方と同じ高校ですね。」と。おかげで、私は緊張せずにのびのびと、笑顔で思いを語ることができました。

一瞬にして話し易い雰囲気=ラポールが形成された状態になったわけです。

 

3月の春休みに入り、落ちた感が濃厚となり就職の誘いの声がかかるころ、合格通知をもらうことができました。

今思い返せば、友人や先生にとても助けていただきました。

さて、次男の進路は、この先どう進んでいくのでしょう。来週のの三者面談からスタートです。