ケアマネジャーを続けている理由
「せっかく看護師の資格を持っているのに、なぜケアマネジャーをしているんですか?」
時々、私に投げかけられる質問です。
金、以外にも、働く理由がある。。
今日は、倶利伽羅塾で研修でした。
ケアマネジャーのスーパービジョンについて、寺本女史からのご講義。
「あなたがケアマネジャーを続けているのは、なぜ?」
冒頭、導入に使われた問いが印象的でした。
「看護師資格だけでは、そこに暮らす高齢者の不都合を解決できないから。」
主人の祖父が倒れた時、ストレッチャーも車椅子も点滴ルートも無い環境に、無力感を感じた。病院の看護師だった私は、先端医療の道具に支えられていただけだったとわかった。
そこで、訪問看護を学び、ケアマネジャーの存在が、これからの社会を担っていくと感じたのです。
ケアマネジャーになり、20年を過ぎたところたが、まだまだ行きたいところにたどり着いていない。
答えはまだ得られない。
それが、続けられている理由
なのかも知れない。
「次の幕が開く」パフォーマーとしての自分
暑い日が続いていますね。
暑いとあれもこれも、忙しい事が負担になりがちです。
でも、今日の私は、なぜかさわやか💕
毎日、私たちは仕事という舞台で自分の能力を発揮させている「パフォーマー」です。一つ一つの仕事をこなしても、次から次へと仕事が増えるために、前が見えなくなることもしばしば。
ところが、短期目標を設定し、達成していくことが実感できれば、その疲れも半減するものです。
「次の幕が開くんだ」という感覚で、望むと、見えてくるものが違っていたり、達成感さえ感じるようになります。
最近1週間日報を書くようにしました。
1週間の出来事をダイジェストで記録し、総まとめにすることで、達成感が味わえるのと、数日前の出来事を振り返り確認できるので、忘れにくくなります。(脳の細胞には情報を知る部屋と情報を保管する部屋があり、記憶に残すには、保管する部屋に移動させる必要があります。)
今週は、こんなことがあったなあと記録し、見直していると、「また次の幕が開くぞ」と気分も切り替えられます。
私には、来週、「第〇章、退院する独居高齢者へのかかわり」の幕が開きます。医療と地域の「排除的性格」の間に立つ高齢者に寄り添い、本人が望む暮らしについて、代弁者として活躍するわけです。
みなさんは、来週、どんな幕を開けるでしょうか?
わがままな自分を受け入れたアラフィフ女子
はるの心智です。
先週の新月から、新しい風が吹いてきた模様です。
利用者さんの日常にも、いろんな風が吹いています。
しかし、振り回されることなく、日常の記録を済ませ、ドシンと腰を据えた自分でいられるのも、「わがまま」な自分を受け入れることができたからでしょう。
私の根幹にある感情。それは、
「好きなことを自分らしく好きなようにやりたい」
という欲求に忠実であることです。
料理を作っている最中に、手出し・口出しをされるのが一番苦手。
「好きなようにやらせて」と思います。
「今、仕事したい。」「体を動かしたい」など、感情が沸き上がるのに逆らって違うことをすると、とてもペースが崩れます。「今動きたくない」など、その逆もしかり。
厄介なのは、その時その時の理由のない衝動が自分でも予測できず、ハマると抜け出せない。一応A型人間で、常識という社会的ルールに逸脱した行為は避けるようにしていますが、見えない自分のなかの「わがまま」さに、以前は「ダメ。ダメ。」などルールをかぶせて、狭い社会で生きづらい人生を歩んでいました(-_-;)
今はそのわがままさを自覚し、自分の動きを柔軟にして、そのマイルールに従うと、思った以上に仕事がはかどるなど、結果を残すことが多くなりました。
~人は解き放たれると、思った以上の能力を発揮できる~
とにかく、わがままな自分を受け入れると満足で充実感があります。
今度のコーチング研修で使おうっと。
「この手を外したい。」
今日は、地域の包括さんが、主催してくれて、家族造形法を使った事例検討会でした。
家族造形法は、家族の一人一人を粘土に見立て、私たち事例検討会メンバーが、粘土に成り切り表現します。
粘土が表す型をもとにモデルになると、思いが入り易いらしい。
今回は、両手で顔を覆いうずくまる家族が、粘土で表現されました。
粘土にインタビューすると、
「この手を外したい。」
「でも、自分で外せない」
ケアマネジャーが、その手を取ってつないでくれた。
そして、利用者(高齢者)の手を持つと、その、つかなりが、人を癒すことができると。
人と人は、つながる事で、癒される。
自分では外せない顔を覆うほどの辛さに苦しんでいる人がいる。
ケアマネジャーは、その辛さを外す事ができるんだ。
これからもっと、活躍するんじゃないかしら。
充実した、1日でした。
そう、感じることができました。
「ボタンの掛け違い」を探してみよう。
最近、私の周りにいる人たちの「ボタンの掛け違い」を見つける事が多かったです。
コーチングを知るまでは、「ボタンの掛け違い」の張本人だったりしましたが、ここ最近は、お互いの言い分を聞き、何がどうすれ違ったのかを分析し、仲を取り持つというお役目に回ることが増えました。
当事者たちは「自分はまちがっていない」というのです。
本当にどうしようもないわがままや、どうしようもない視野の狭さがある場合を除き、ある程度理性と社会性のある方でしたら、「ボタンの掛け違い」のことが多いのではないでしょうか?
仲を取り持つ身としては、お互いの立場に立ち、話を伺う。
そして、どう見えたのか、それに対し、どう感じたのかを聴く。
ケアマネジャーは、利用者の言い分や、家族の言い分、サービス事業所の言い分、医者の言い分、などなど、取り巻くすべての立場に立ち、モヤモヤすることが多い職業でもあります。中立・公正な立場と、平面軸や時間軸を考慮した多面的視点をもって、お互いの行動とその背景にある判断や感情を汲み取る作業。
「そんなつもりで言ったのではない」
ことや、
「そのタイミングでは言ってほしくなかった」
事など、
言葉以外のメッセージが飛び交います。
「本当はどうありたかったのか」
「何を大切にしたかったのか」
「そもそも、何がしたかったのか」
そんな質問が、こじれそうな関係性の修復に役立ったりします。
第三者が入ると困ることもあるでしょうけど、ひとつ広い視野でお互いの立場を尊重した傾聴・共感が、必要なこともあるでしょう。
私ができることは、そのくらいですけど、いくらか問題が大きくなるのを防ぐことができそうです。
世間に広がる虐待・事件。少しでも減らして、住み良い暮らしを守りたいですね。
気になることがあったら、声に出してごらん。
この5月はゴールデンウイークでの断捨離と、たまった書き物をするなど忙しく過ごさせていただきました。
ようやっと、落ち着きを取り戻しました。
来月、仙台で日本ケアマネジメント学会研究大会があります。
1週間前まで、「今回は見送ろう」と思っていたのですが、「行けるかも💛」と調整をしてみると、意外と簡単に行けることになりました。
時間・費用・そして大事なモチベーションです。
ギリギリの24日、奇跡的に事前申し込みができ、奇跡的にホテルの予約もできました。ツイてる!
ツイてるときには、何をやってもツイています。
私は、髪を伸ばしているので、滅多に美容院に行きませんが、旅行とあって、半年ぶりに行きつけの美容院に行くと、ある出逢いがありました。
その人は、「いつも妄想は止まらない。『ああしたい』『こうなりたい』と考えるけど、結局何も変わらないのよね。」
「ああしたい」「こうなりたい」って、考えているの?
じゃ、もったいないじゃない!
「なりたい自分が見えているなら、進むべし!」
そこなんですよ。
リアクションでわかります。
その方もおっしゃいました。
「進むって、どこに?いつ?誰かが後押ししてくれないと不安だわ。」
私のクライアントさんたちも
「何かしたいけど、どこに向いてどう動いたらいいかわからない。」
という思いから、コーチングをスタートし、知らず知らずに夢を具体的にして行動していきます。
気になることがあったら、声に出してごらん。
コーチに話してごらん。
どこを向いていきたいか、自分の潜在意識から、言葉が勝手に出てくるよ。
不思議。不思議。
そうして、なりたい自分に近づいていくんだから、進んだらいいよ。
なんて、話から、セッション依頼あり。
また、新しい夢を一緒に見させていただきますね。
楽しみだわ。(^○^)